叔父のこと

つい先日、叔父が亡くなった。海外にいるため会える機会は少なかったものの、飄々とした叔父は甥の立場でも非常に親しみやすく、たまの帰国時に会えるのが幼少期からの楽しみであった。病にかかってからは日本への帰国が叶わない状況が続いていたが、従兄弟も含めていつか叔父に会う、との願いは自分としてずっとあった。が、費用や日程を工面する覚悟が持てず、叔父の住む国への不安も拭えず、十年来の懸案事項として頭の隅に追いやられたままの状態にあった。

そんな中で意を決して会おうと決めたのが、昨年のちょうど今頃。先に会った親戚からいよいよ具合が悪いらしいと聞き、自分の中でも「今、会わねば後悔する」との思いが大きく膨らんだ。同じく病気で身体を悪くしている父を連れて、最後の兄弟としての会話に花を咲かせて欲しい気持ちも行動を後押しした。

一度行くと決めた後は、実に話が早かった。旅程に関しては職場に掛け合って10日ほどの休暇が得られたし、健康状態を気にして引っ込みつつあった父の尻は母が何度も押し返してくれた。同行を申し出てくれた妻の楽天さも、感じていた叔父の国への不安をかき消してくれた。

そうして3人で渡航して叔父家族に会ったのが、つい2ヶ月前のこと。確かに衰えこそ見られたもののウィットに富んだキャラクターは変わらず、流れた月日を感じないぐらいの楽しく安らかなひとときを過ごした。叔父の方でもしばらくぶりの兄と甥の来訪が嬉しかったのか、記憶の中の叔父が別人かと思うぐらいに気にかけ、歓待してくれた。「どちらも先は長くないな」と笑い合う叔父と父の姿を見られたこと、異国の地で自身の血の存在が感じられたことが、何より自分の胸を打った。

そんな楽しい日々からほんの60日ほどで、叔父は70年と少しの生涯を終えた。「また会おうね」との最後の約束が叶わないだろうことは、言葉を口に出す以前から想像はしていた。けれども、それはまだずっと先の話で、もしかしたらもう一度ぐらい会えるんじゃないかとの淡い期待も抱いていた。

それだけに、想像を遥かに上回る別れの早さが、旅の余韻すら消え去らない今時点ではまだ信じきれずにいる。夢のような旅行先での楽しいひと時そのままに、叔父に会って語らえたことも、その叔父がもうこの世にいないことも、全て夢なんじゃないかと感じてしまっている。

叔父が亡くなったことを肯定的な文脈で捉え直せるまでには、まだ少し時間がかかることだろう。息を潜めている感情に目を向ければ、いくらでも悲しみの言葉は出てくる。ただ、今回、まだ元気であった叔父と楽しく語らえた一点に関して言えば、自分や父は実に幸運に恵まれていた。その機会を与えてくれたいくつものきっかけに、今はただ感謝したい。

会える間に会いたい人に会うことは、いつだって、どこでだって尊い

 

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叔父宅より市街地を望む